越中八尾で毎年9月1日〜9月3日にかけて行われるおわら風の盆の町流しの様子です 以前はそれほどでもなかったのですが、近年マスコミなどの報道によって一躍有名になり、 観光ツアーにも組み込まれて毎年各地から踊りを一目見ようと人々が殺到します。 人口4000人足らずの越中八尾の小さな町に、この時期押し寄せる人々は何と40万人以上にもなるとか。 そのためか以前のように自由に町流しをするにも大変な有様とか。 おわら風の盆はもともとは地元の人たちが小さいころから慣れ親しみはぐくんできた踊りです。 もちろん本質的には観光客に見てもらいたいがために踊っているのではなく、 自分たちの気持ちの赴くまま、町を流して踊り続ける行事です。 歴史は江戸時代・徳川第五代将軍綱吉のいた元禄5年(1702年)に始まったとされているそうです。 ということは現在まで300年以上の歴史を持っている踊りということが言えそうです。 当時の元禄時代といえば上方の町人を中心とした文化である元禄文化が花盛りの頃で、 地方にも盆踊りの文化が始まった時期と重なっているということも影響もあるのかも知れません。 もともと風の盆自体も以前は9月ではなく、8月のお盆の時期に行われていた盆踊りだそうです。 始まりが八尾の人々が暮らしの中の喜びを歌にし、踊りを踊ったという起源があることから、 それが受け継がれ、また時代時代の文化の影響も受けながら徐々に形を変え、洗練されていきます。 風の盆の風の名称は、風の強いところという意味なのだそうです。 江戸時代後半から明治時代初期にかけて、この越中八尾は生糸(絹糸)の一大生産地だったそうです。 生糸生産には強風が吹く場所が適していること、そういう土地柄が名称の起源になったのかも。 また生糸生産・養蚕業で町はかなり潤ったはずで、 その当時は喜びを表現する踊りである風の盆が一層広まったのではないでしょうか。 またおわらの起源が大笑いから来ているという説もあるそうですから、 意外に儲かって笑いが止まらなかった当時の越中八尾の町の様子を想像してしまいますがどうでしょう。 大正時代に入るといよいよ対大正8年にはおわら保存会が発足し、今の踊りの原型とも言える 舞い・三味線・太鼓・胡弓の音色などが登場してきます。 そして300年以上に及ぶ歴史と文化、芸術と民衆の踊りの集合体が現在のおわら風の盆になっているのでしょう。
